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第3話 出会いの記憶

Author: marimo
last update publish date: 2026-06-06 23:04:31

黴臭い布団に横になり、天井の染みを見つめていると、

意識とは裏腹に、記憶だけが勝手に遡っていった。

――どうして、あの人と出会ってしまったのだろう。

あの頃の私は、できるだけ人目につかないように生きていた。

派手な服も、化粧もせず、

ただ「静かに」「何も起こさず」一日を終えることだけを考えていた。

生活のために始めたのが、清掃のアルバイトだった。

古くて、薄暗い雑居ビル。

廊下の電灯はところどころ切れ、

昼間でも影が溜まるような場所だった。

そのビルの一角に、

《Kurosaki Creative Works》という、出来たばかりの広告制作会社が入っていた。

出会いは、共同トイレだった。

男性用便器を黙々と拭いていたとき、

背後から、気まずそうな声がした。

「……あの、すみません」

「お借りしてもいいですか?」

振り返ると、スーツ姿の男が、困ったように立っていた。

それが、黒崎俊哉だった。

「すぐ終わりますので……」

そう言って、私は道具を片付け、外に出た。

用を足している間、

私はトイレの前で、じっと待っていた。

今思えば、それだけのことだった。

けれど、俊哉はそれを「律儀だ」と言った。

「ありがとう」

「こんな若いのに、大変だね」

その日から、何度か顔を合わせるようになった。

気がつけば、

「よかったら、うちで働かない?」

そんな言葉をかけられていた。

事務員の仕事は、清掃よりずっと楽で、何より、人に気を遣われることがなかった。

ひかるは、静かにそこで働き始めた。

仕事帰りに食事をするようになり、いつの間にか、付き合うようになっていた。

二年後、俊哉はプロポーズした。

「一緒に生きていこう」

その言葉を、私は疑わなかった。

一緒に住み始めてから、俊哉の会社は、目に見えて大きくなった。

仕事が増え、収益が上がり、やがて彼は、郊外に大きな家を建てた。

「家のことは、ひかるがやってくれればいい」

私は、それでいいと思った。

役に立てるなら、それで。

けれど――                                                                  

いつからだっただろう。

俊哉が、夜、帰らなくなったのは。

携帯を伏せて置くようになったのは。

問い詰めると、殴られた。

「疑うな」

「余計なことを言うな」

それでも、私は耐えた。

自分が悪いのだと思い込もうとした。

そして今日。

相沢玲奈が、現れた。

モデルだと言った女。

背が高く、細く、自然に視線を集める存在。

鏡に映る自分と、リビングに立つ玲奈を、比べてしまう。

化粧もしていない、地味な服。

年齢以上に、くすんで見える顔。

――私が選ばれなかった理由は、これだ。

そう思った瞬間、

胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。

玲奈は売れっ子ではない。

それでも、堂々と「モデル」と名乗れる女。

そして私は――

何者でもない。

仕事もない。

自分のお金もない。

ただ、俊哉のために家を守ってきただけ。

ただ、

選ばれなかった女だった。

(私が選ばれなかった理由は……私に魅力がないから?)

その事実が、

ひかるの心から、最後の自信を奪っていった。

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